光の話 Lighttale for Art and Culture

川久保玲と蛍光灯
新川貴詩

ダンスや演劇など舞台芸術の公演が始まる瞬間、大ざっぱに言って、照明の演出は次のふたつに分けられる。一気にあかりが灯るか、あるいは、ゆっくりと明るくなっていくかである。

だが、マース・カニングハム舞踊団による「シナリオ」は、そんな定石とはまったく違った。一見、ぱっといっせいに明るくなったかのように見えたものの、点灯がまばらで、ところどころ遅れてあかりがついた。

その理由は明確である。

蛍光灯を使っていたからに他ならない。

数多くの蛍光灯を天井に等間隔に配置。舞台装置はそれ以外にはいっさい何もなく、真っ白なあかりだけがともる極めてシンプルでニュートラルな空間である。

この空間を手がけたのは川久保玲である。言わずと知れたコム デ ギャルソンのデザイナーだ。

川久保玲は1980年代初頭、ほぼ黒一色というシンプルな色づかいながら、極めてアバンギャルドで実験的なファッションを発表した。そして、パリをはじめ世界中で「黒の衝撃」と称され、賛否両論を巻き起こした。

そのパンク魂は、マース・カニングハム舞踊団による「シナリオ」の美術にも大いに発揮されていた。

通常、舞台公演の照明に蛍光灯が用いられるケースは稀である。その理由の第一は調光するのが難しいからだ。また、蛍光灯特有のチラつきもあって、舞台で使うには不自由する。

そして、「シナリオ」の冒頭で点灯がまばらだったのは、普段の暮らしで誰もが知っているとおり、蛍光灯はスイッチを入れて即座に点灯しないという性質があるからだ。おまけに、蛍光灯には個体差が大きいという特徴もある。しかも、その個体差は色調にも現れる。

よって、「シナリオ」の舞台は真っ白ではあるものの、パーフェクトにフラットなあかりかと言うと、実はそうでもない。中には暗めの蛍光灯もそこそこ混じっていたことを思い出す。

このようにフラットなようでいて、ゆらぎもある空間に、音楽が映えた。作曲と演奏は小杉武久。日本では1960年代にネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーらと交流が深く、渡米後はフルクサスの一員として活動した音楽家である。

この「シナリオ」では、ゆったりとした波形に加え、バイオリンと声、電子音をエフェクターで処理して変調させ、さまざまな音を重ねた。やはり、シンプルながらも実験色が濃厚な音楽である。

そんな空間と音の中で、男女15人のダンサーたちが舞った。衣装も当然、川久保玲が務めた。腹や肩、腰、背中などに大きなコブのような膨らんだ突起物が付着した、いわば畸形と受け取られかねない服である。ダンサーたちの動きがある時はコミカルに映り、ある時は拘束を与えた。

そしてそのファッションは、実にカラフルでもあった。蛍光灯によってつくりあげた無機質で真っ白な空間に、実によく映えたことをいまも思い出す。

しかも、「シナリオ」は、前述のとおり蛍光灯は調光や制御が難しいので、明るくも暗くもならず、ましてや転換もなく、ずっと同じ照明のもと、ダンサーたちは踊り続けた。

つまり、蛍光灯によって、肉体とファッションがいっそう強調されたことはいうまでもない。

*本作のファッションは、1996年秋冬のパリ・コレクションで発表されたもの。あまりの奇抜さに、やはり賛否両論が起きた。そして、「シナリオ」は1997年にニューヨークで世界初演。その翌年に東京公演が実施された。

新川貴詩 美術ジャーナリスト、編集者。