光の話 Lighttale for Art and Culture

蛍光灯

微量の水銀が封入された真空のガラス菅内に放電し、生じた紫外線で管壁に塗られた蛍光体を励起させ光を発生させる照明。エネルギーの90%以上が熱になってしまう白熱電球に対し、エネルギー効率が良く寿命も長い。点灯のためには複雑な工程を必要とするため、安定器などの内臓された照明器具を必要とする。

蛍光灯

その発明は、まず1800年代初頭にハンフリー・デイヴィーが水銀蒸気中で放電すると紫外線が発生することを発見したことに始まる。

1852年、イギリスのジョージ・ストークスが発見した「ストークスの原理」によって、その紫外線と物質のルミネセンスとが結びつく。「ストークスの原理」とは、物質に光を照射することで別の光を発生させるフォトルミネセンスにおいて、照射する光は発生させる光よりも波長が短い必要があるというもの。つまり紫外線を蛍光体に当てることで、可視光線を放出することが出来るという原理が発見された。

1859年、フランスのアレクサンドル・ベクレルが行った実験によって、電気を用いる放電現象とルミネセンスが結びつく。ベクレルは両端に電極をつけたガラス管内に蛍光体を入れ発光させる実験を行った。これは水銀の紫外線による発光ではなかったが、彼が蛍光灯を考案した人物であるとされている。

これらの発見によって、現在の蛍光灯の原理が完成する。そして1900年代初頭から実用的な蛍光灯が開発される。

1901年、米国のピーター・ヒューイットが「低圧水銀ランプ」という名の現在の蛍光灯を発明。蛍光体の褪色が早く実用には至らなかったが、これが実用的な最初の蛍光灯と言われている。

1934年、英国のGEC社が35ルーメン/ワットと非常に効率の良い緑色の蛍光灯を開発。

ドイツのエレクトロン社が1926年、現在の蛍光灯と同様の方式の特許を出願し、1939年に権利化する。電球で大きな市場を占めていた故に、その売り上げを食い潰しかねない蛍光灯の開発に一歩遅れていたGE社は、このエレクトロン社の特許を含めた複数の特許を購入し、実用的な蛍光灯を開発、1938年に市販する。この年が蛍光灯誕生の年とされている。

この頃の蛍光灯は演色性も悪く、エネルギー効率を重視する工場などにおいて普及しており一般家庭では使用されてはいなかった。

ハロリン酸カルシウム蛍光体による白色蛍光灯

1938年に発売された頃の蛍光灯は、様々な色に発光する蛍光体を混合することで白色を再現していたため、劣化速度の差によって色のバランスが崩れたり、製造コストがかかるという欠点があった。それらを解決するハロリン酸カルシウム蛍光体が1942年に英国のGEC社によって発明される。この蛍光体は1つの蛍光体で白色を発し、かつ材料の配合度合いによって発光の色温度も調整出来るという優れたものであった。この蛍光体を使用した白色蛍光灯が1946年に市販される。従来の蛍光灯よりも光の質が向上した白色蛍光灯は、一般家庭にも普及するようになる。

三波長蛍光灯

1970年代の初め、青緑赤にそれぞれ狭いピークを持つ3つの蛍光体、つまり三原色の蛍光体を用いると白色蛍光灯の効率や演色性が向上することが論理的に示される。そして他の技術の進歩も伴って、1973年にオランダのフィリップ社が、3つの希土類蛍光体を用いた三波長蛍光灯を開発する。この三波長蛍光灯には希少な希土類元素が使われているため価格は高いが、効率が良く演色性も高い上に、使用する水銀の量も少なくて済むと利点が多い。

その後の進化

1980年には、フィリップ社によって安定期などを内臓し電球のソケットにそのまま取り付けられる電球型蛍光灯が開発され、家庭へより普及するようになる。近年ではエネルギー効率や寿命がさらに改善されている。

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